教会でのパイプオルガンの演奏は20分程度でした。
こういう大きな聖堂で聞くパイプオルガンは、音響のせいもあってボリュームは最強。
頭の上からガーンと響いてきてちょっとうるさいです。
ヘッドフォンでもはめて音を半減させて聞くのが理想かもしれません。
シヴェンタ・リプカを出て、畑の中の一本道を車でほんの10分程度行くと、小さなレンガの町が見えてきました。
Reszel(レシェル)です。
レシェルは、1337年に村から"町"へと昇格、まさに中世の町です。
13世紀から18世紀まではこの地域ヴァルミア(マズーリ一帯)の司教の領地として発展。
司教によって後期ゴシック様式のレンガの城が立てられました。14世紀。

こんな様式の城は、ドイツ領地だった地域一帯に見られます。
外観よりも機能重視という感じで、レンガ造りでデザインも素朴。
厳しくないところがいいです。

昔の大砲

正門

中庭から塔を見上げたところ

町の一角

城の塔から町を見下ろす

14世紀に立てられた教会(右)。
左には2~3世紀は経っていると思われる古~い空き家が。

地下牢?

城の一部はホテルになっていて、中世の城の住人になった気分で滞在できます。
宿泊料は結構高いそうです。
中庭のカフェで休憩してからレシェルの町を後にしました
狼の巣・ヴォルフスシャンツェから次に向かったのは小さな町、シヴェンタ・リプカ(Swieta Lipka)です。
ここにある古い教会で夏のバケーションの期間はパイプオルガンの演奏会が催されます。

歴史のある教会で、13世紀に建てられた小さなチャペルから始まり、17世紀には聖堂にとって変わりました。
教会門

回廊の一部に並ぶ売店

内装は後期バロック様式

パイプオルガン

ステンドグラス。下に書かれている文字は中世ドイツ語。
中世(11世紀頃から)のポーランド北部はドイツ(テュートン)騎士団領だったのです。

狼の巣からの途中の村に「
盆栽」と書かれた大きな看板を立てた家がありました。
こんな田舎に盆栽が売ってあるのかな?、と思い覗いてみると、
盆栽という名前のアグロツーリストの家でした。
アグロツーリストとは、農家などの普通の家がバケーション客に部屋を貸すペンションみたいなもの。
出てくる食事はそこで作った新鮮な野菜や卵などで、アットホームなところがいいです。
なぜこの家が「
盆栽」なのかというと、宿主人の趣味が盆栽なのでした。
庭に造られた小屋にはたくさんの盆栽コレクションが!(怪しげな文字の看板もあります

)
一番古いのは25年くらい経っているのだそうで誇らしげに見せてくれました。
バケーションの3日目、友達一家が観光に行くというので私だけ一緒に連れて行ってもらいました。
滞在地クルクランキから車ですぐに行ける近場で見る価値ありそうな所に行ってみよういうことで。
田舎道や農村を通って走る事1時間ほど、ある森に突入しました。
Gierloz(ギエルウォジュ)という村の一部にある森です。
この森の中に「狼の巣」=ヴォルフスシャンツェ(Wolfsschanze)なるものがあるのでした。
狼の巣は、第二次世界大戦中にヒトラーが作った「統領大本営」です。
「狼」とはヒトラー自身のことを指しています。
彼は、ポーランド一帯や近辺の国々に関する指令をこの大本営から出していたのです。
ブンカーと呼ばれる台形をしたコンクリート製の巨大な塊が森の中に散在しています。
このコンクリの建築物が司令棟でした。

ヒトラーのお気に入りの建築家たちのお墨付き設計で、「どんな攻撃や爆撃にも耐えられる」ということで作られました。
外壁のコンクリの厚さなんと8m。
なので外見は巨大でも中の司令室は大きくないのです。

建築の材料はドイツから電車で運び込まれ、それぞれのブンカー建築に数百人が携わり、6週間という短時間で一気に作り上げたそうです。
これって、豊臣秀吉の「一夜で城を建ててみせましょう!」と将軍(だっけ?)に言ったのに似てると思いました。
見学者がいっぱいいました。多くはドイツ人です。
というかポーランド人よりもドイツ人のほうが多いのではないか、というくらい多かったです。

ガイドをしてくれたマジェナさん(↓写真左)は、ここ「狼の巣」の専門家で、巣に関することは何でも知っています。
「狼の巣(Wilczy Szaniec)」という本も出版していて、興味深いので買ってみました。
ついでにサインも書き込んでもらいました。


ここが1944年7月20日、
シュタウフェンベルグ(Stauffenberg)による「ヒトラー暗殺未遂事件」のあった場所↓
仕掛けられた爆弾で死者が4人と負傷者がたくさん出たけれど、ヒトラー本人は手と額にちょっとケガをしただけ。
事件の同日にここ本営を訪れたムッソリーニに「私は不死身だ!」と何度も言ったのだそう。

1945年始めのドイツ敗北が確実になった時にブンカーの多くが爆破されました。
丸々残っているのもありますが、見事に破壊されたのものはコンクリの壁が四方に倒れかけたまま。
誰かが木の枝で支えるように立て掛けて以来、多くの見学者が真似してこうなりました。

でもこれでも分るように、ブンカーは「どんな爆撃に耐えられる建築物」ではないことが証明されたというわけです。
「巣」の住人がいなくなって60年の歳月が経つと老朽化も進む

ブンカーは今では「苔の巣」に