ヴォルフスシャンツェ(狼の巣)見学
2009年 09月 07日
バケーションの3日目、友達一家が観光に行くというので私だけ一緒に連れて行ってもらいました。
滞在地クルクランキから車ですぐに行ける近場で見る価値ありそうな所に行ってみよういうことで。
田舎道や農村を通って走る事1時間ほど、ある森に突入しました。
Gierloz(ギエルウォジュ)という村の一部にある森です。
この森の中に「狼の巣」=ヴォルフスシャンツェ(Wolfsschanze)なるものがあるのでした。
狼の巣は、第二次世界大戦中にヒトラーが作った「統領大本営」です。
「狼」とはヒトラー自身のことを指しています。
彼は、ポーランド一帯や近辺の国々に関する指令をこの大本営から出していたのです。
ブンカーと呼ばれる台形をしたコンクリート製の巨大な塊が森の中に散在しています。
このコンクリの建築物が司令棟でした。
ヒトラーのお気に入りの建築家たちのお墨付き設計で、「どんな攻撃や爆撃にも耐えられる」ということで作られました。
外壁のコンクリの厚さなんと8m。
なので外見は巨大でも中の司令室は大きくないのです。
建築の材料はドイツから電車で運び込まれ、それぞれのブンカー建築に数百人が携わり、6週間という短時間で一気に作り上げたそうです。
これって、豊臣秀吉の「一夜で城を建ててみせましょう!」と将軍(だっけ?)に言ったのに似てると思いました。
見学者がいっぱいいました。多くはドイツ人です。
というかポーランド人よりもドイツ人のほうが多いのではないか、というくらい多かったです。
ガイドをしてくれたマジェナさん(↓写真左)は、ここ「狼の巣」の専門家で、巣に関することは何でも知っています。
「狼の巣(Wilczy Szaniec)」という本も出版していて、興味深いので買ってみました。
ついでにサインも書き込んでもらいました。
ここが1944年7月20日、シュタウフェンベルグ(Stauffenberg)による「ヒトラー暗殺未遂事件」のあった場所↓
仕掛けられた爆弾で死者が4人と負傷者がたくさん出たけれど、ヒトラー本人は手と額にちょっとケガをしただけ。
事件の同日にここ本営を訪れたムッソリーニに「私は不死身だ!」と何度も言ったのだそう。
1945年始めのドイツ敗北が確実になった時にブンカーの多くが爆破されました。
丸々残っているのもありますが、見事に破壊されたのものはコンクリの壁が四方に倒れかけたまま。
誰かが木の枝で支えるように立て掛けて以来、多くの見学者が真似してこうなりました。
でもこれでも分るように、ブンカーは「どんな爆撃に耐えられる建築物」ではないことが証明されたというわけです。
「巣」の住人がいなくなって60年の歳月が経つと老朽化も進む
ブンカーは今では「苔の巣」に
by ryoraspberryski
| 2009-09-07 06:07
| 週末・イベント・休暇